ロシア舞踏公演「舞踏—大いなる魂」の現場より:11月18日

目覚める。窓から見える空は暗い。夜明け前とはいわないが、まだすっかり明るなっていない時間か? 携帯電話を開く。14時。ということは、こちらは8時。それにしては暗いと思いつつ、ベッドから出て、外を見やると、雪景色だ。
残念ながら、私の部屋の窓からは運河や街並みが見えるわけでもなく、黒っぽいビルや集中暖房用と思われる煙突が見えるのみで、雪景色といっても殺風景だ。
食堂、といっても小さなもので、家庭の食堂のよう。ハム、ソーセージ、パスタ、サラダ、それに黒パンを1枚。ミルク、オレンジジュース、ヨーグルト。
遅れて到着したタクシーで、シェミャーキン基金のビルへ向かう。車で行けばホテルからすぐ。シェミャーキンとは人の名前。ロシア人だが普段はパリに住む画家だという。その画家が所有するファンドということか。よくわからないが、ともかく1階がギャラリー、といって表通りに面した路面のギャラリーというわけでもなく、閉ざされた木のドアを開けてずっと入り込まなければギャラリーに行き着かない。
木の階段を昇り、ビルの2階のホール(のようなスペース)で、今日の催しである記者会見、レクチャー、ワークショップが行われる。そのスペースの一部が展示空間となる。このホールはまたギャラリーでもあり、周囲の壁面にはたくさんの額が架けられている。
額装されているのは、ほとんどが絵画の複製であり写真の複写である。すべて、口を開けた人物や動物が描かれ、写されている画像。世界各地の口を開けた人物、動物のイコノロジーである。
誰もが知っているのは、ムンク「叫び」フランシス・ベーコンの絵画であるが。ほかにも宗教的な彫像であったり、幼い子どもの自然の表情であったりする。とにかく、世界各地から収集した聖俗の画像である。驚くことには、芦川羊子さんの舞台写真、もちろん口を開けたシーンの写真も展示されている。思わぬところで土方の舞踏に遭遇した。
シェミャーキン氏とは誰なのか。サンクトペテルブルグでは成功を収めた人物なのだろう。それが、画家としてのそれなのか、実業家としてのそれなのかはしかとわからない。
氏の執務室が控室として提供されていて、周囲の壁面は本棚で占領され、画集が並べられている。たしかに彼の作品の画集もあり、そこには彼が写りこんでいる
写真もあって、なるほど実在の人物なのだと思われるのだが。きくところでは、日本でご自身の作品の展覧会を開催したいとのこと。

急ぎ、展示のセッティングにかかる。「鎌鼬」の写真は依頼していた落ち着いた黒枠の額で整え、イーゼルに架ける。2枚のバナーは天井のフックに懸けて垂らしホールを2分するようにして展示スペースを構成する。土方が会場に君臨するかのよう。
横尾忠則さんのポスターもイーゼルにセットする。舞台写真の展示は割愛する。
会場の上品な雰囲気に合わせて、これでOKとするほかない。
記者会見の時間を待つ間、ふとサンクトペテルブルグでの初めての公演の時の記者会見を思い出す。劇場地下のキャバレーかパブのようなスぺ—スで行われた。はたしてどれほどの取材があるのかと思われたのだが、時間になるとドドドッという感じで取材記者たちが入ってきて、狭い会場がたちまちいっぱいになった。
日本からきた我々は真面目に答えていたが、DEREVOのリーダーのアダシンスキーがとぼけたように応じていたのが印象的だった。
ロシア、とくにサンクトペテルブルグの舞踏ファンはDEREVOを通して舞踏を知った。DEREVOは舞踏の恩人なのだ。

カメラを手にした取材記者たちが集まってきた。記者会見の前に、山本萌さんの短いパフォーマンスを行う。シャッター音がつづく。サンクトペテルブルグでの最初の公演には山本萌さんも参加していたので、山本萌さんの撮影は初めてではない取材者もいたのかもしれない。
ついで、記者会見に移る。記者は2、30人は集まっていたろうか。在サンクトペテルブルグ日本国総領事館の松山哲士副領事、国際交流基金の北川陽子さん。金沢舞踏館の山本萌さんと白榊ケイさん、それに私が席についた。松山さんと北川さんが主催者を代表してあいさつ、つづいて山本萌さんが公演作品「腹中のむし」について紹介する。このいかにも日本的なタイトルを外国人が理解するのはむずかしい。
ついで、私が今回の催し「舞踏—大いなる魂」について話す。「大いなる魂」は舞踏の本質をロシア向けに名づけてみた。会場からは、ただちに質問が飛んで来る。それに応答しているうちに、記者会見らしくないと思い始めるが、舞踏に共感を寄せつつ、舞踏の本質をさらにさぐろうとする姿勢に応えるほかない。

つづいて、時間をおいて私のレクチャーである。参加者は70、80人であろうか。用意された椅子席は埋まっている。通訳はセルゲイさん。以前にもお世話になっている。大学で歴史を教えているとか。さばけた先生である。
タイトルは「土方巽の舞踏」という漠然としたものだが、土方の舞踏のアウトラインを話し、あとは参加者の関心に応えることにする。これまでの経験から、ロシア人の舞踏への強い関心と理解への強い意欲を知っているので、これがいい方法。即興でどこまで質問や意見に答え、納得させられるかだ。
日本では、講演やシンポジウムは壇上から一方的に言葉が発せられて、参加者はそれを受け取るというスタイルだが、こちらではそういうことはない。参加者の関心に応じて答えることで理解が深まるし、われわれにとっても大きな刺激となる。まずは、質疑の素材を提供するということ。
用意してきたパワーポイントでスライドショーを見てもらいながらレクチャーを行うことにする。初めに「舞踏」という文字が出る。土方のカリグラフィーだ。
意味を説明するのではなく、思いついて、日本人が使っている文字が中国から借用したものであることから話す。
参加者から「舞踏」という文字の意味の質問がある。その説明をすると、かつては「暗黒」といっていたのではないか、という質問が出る。たんに意味を求めているのではなく、そこから舞踏の本質を探ろうとしているのがよくわかる。日本の文化の神秘性とともに、舞踏にも宗教性を見ている人もいる。舞踏と仏教との関わりを訊く質問もでる。
あちこちで手が挙り、次々と質問が投げかけられる。真剣な問いかけに、、こちらも真剣勝負に応じるかのように身を乗り出して答える。通訳のセルゲイさんもたいへんだが、余裕をもって通訳してくれるので、私も思い切って話すことができる。
時間を超過してレクチャーを終える。

このあとは、椅子を片付けて、同じ会場で山本萌さんのワークショップが行われる。30人足らずの参加者、それに見学者が20人ばかり。萌さんの指導で、舞踏独特の身振りや動きを実践する。もちろん萌さんが求めているのは動きだけではなく、意識のリアクションや感覚のバイブレーションである。会場の汗ばむほどの熱気のなかで、参加者は忘我の風に動いている。
若い人もいれば年配者もいる。おそらく、かなりダンスや演劇で経験豊かな人も参加しているよう。そういう人たちにも、舞踏の訓練やメソッド、思考法が強い刺激を与えているようだ。
ワークショップで体を動かす参加者はもちろんだが、見学者たちも熱心にメモをとったり、写真撮影で記録したりしている。英語で書かれた舞踏の本をロシア語に翻訳しようとする人もいた。それだけに熱心だ。

今回も含め、サンクトでの舞踏公演に協力してくれているリュドミラさんが、日本から舞踏が来てくれることを待ち望んでいる人がたくさんいるんだと強調していた。今回の催しの実現するため、これまでの経験から、リュドミラさんに制作をお願いしてはどうかと私も進言した。それをうけて、彼女に相談したサンクトの総領事館の担当者は、彼女があまりに舞踏への期待をいうものだから、当初は驚いたろうが、これで実感できたろう。

「舞踏—大いなる魂」の初日を終える。まずまず成功というところ。私もホッとする。冷静沈着にことを進めている北川さんも内心は同じ気持ちであろう。しかし、問題は公演である。公演準備は明日1日。最も面倒な照明を担当する曽我さんは、いつものように余裕の様子だが、もちろん私もすべて委ねて安心していて何も言わないが、実際には順調とはいかないだろう。
初めて乗り込む劇場。9月の下見の、その日、その場で即決した劇場だけに、実際はどうなのか、設備は? スタッフは? そして、観客の入りはどうなのか?
なるようになる。ロシアではこれまでもそうだった。
(記=森下)