ロシア舞踏公演「舞踏—大いなる魂」の現場より:11月17日

土方巽アーカイヴが全面的に協力しているロシアでの舞踏公演/レクチャー/展示企画、「舞踏−大いなる魂」の現場レポートが担当者森下から届きました。
まずは初日、11月17日のレポートです。


ロシア舞踏公演「舞踏—大いなる魂」の現場より:11月17日


夜、サンクトペテルブルグに着く。総勢7名。金沢舞踏館の山本萌さんをはじめとする4名。照明の曽我傑さん、主催の国際交流基金の北川陽子さん。
展示での映像装置を構築するための竹、2束がうまくロシアに持ち込めるかと心配していたが、fragileとして何らクレームもなく入ってくれた。ホッとした。
杉原信幸さんの苦心の作だ。第一関門通過だが、問題は現場での組み立てだ。いかにも、原始的な上映空間がはたしてうまくいくのかどうか。
2か月ぶりのサンクトペテルブルグ。空港の外に出る。意外と寒くない。軽いコートで十分。
空港からの車が市街地に入り、Hotel MOYKA5に到着。運河沿いの小さなホテルだ。
サンクトペテルブルグは4度目だが、ほとんど都市としてのサンクトペテルブルグの地理は分からない。これまでの公演会場だったミュージックホール周辺と、
歩いて出かけたエルミタージュ美術館と国立サンクトペテルブルグ大学以外は、つまり、ネバ川の周辺のごく限られた地域だけは頭のなかで空間を構成できるが、サンクトの街全体を都市空間として把握できていない。
今回の空港からホテルへの途次、ここから6番目のビルがドストエフスキーが住んでいたアパート、この建物が「罪と罰」で殺害された老婆が住んでいたアパートと教えられて、あらためてドストエフスキーの街としてのリアルな空間意識が広がった。
実は、バッグの中に、『カラマーゾフの兄弟光文社文庫の第5巻(最終巻)を忍ばせている。どうせ読めやしないが、ロシア行きの気休め。
ホテルでは、明日の打ち合わせをして解散。
部屋に入り、旅行トランクを開け、明日、展示会場に持参する展示物を残し、あらかた引き出す。細江英公さんの「鎌鼬」からオリジナルプリント10点、土方の写真が転写されている大きな布製バナー3点、横尾忠則さんのポスターなどポスター7,8点、それに土方の舞台写真(A3ノビ)30点ばかりをともかく持参して展示を構成する。
どう展示するのか、私なりのイメージはあるが、それも現場に出かけてみないとわからない。サンクトの会場では映像装置は組み立てることはできないので、モスクワだけでの挑戦だ。
ベッドに入る前にインターネットを確認する。ワイヤレスでつながるという。たしかに。メールはOKだが、スカイプは不安定でむずかしい。
明日から早速、仕事が待っている。私の任務は、展示設営のほか、記者会見とその後のレクチャーである。記者会見はもちろんだが、レクチャーで話すことも何も考えていない。記者会見で初めに言っておくべき挨拶、とりわけ感謝の言葉だけをノートにメモした。列挙すべき名前を落とすことはできない。
レクチャーで通訳していただく方からは、私が話す内容をあらかじめ見せてほしいと求められるが、ノートもとっておらず無理な求め。聴衆は土方巽の舞踏については初心者といっていいから、その歴史のアウトラインを話すことになるかな、というあたりだけだ。
東京は朝の7時すぎ。日本時間を表示したままの携帯電話で確認する。ロシアは6時間遅れ。それ以上、明日のことを考えることもなく、目覚める時まで眠ることに。
(記=森下)