7月23日の高井富子さんを送る会(文:森下隆)

23日(土)は高井富子さんを送る会が行われた。
私が代表を務めている国際舞踏連絡協議会(LIB)が運営主体となって実施した。


会場は、高井さんのご自宅で一階が稽古場になっていて、そこをご遺族のご厚意で使わせていただいた。
個人宅ということでお別れの会を行うには狭いかなとも思われた。しかし、参会者が高井さんが舞踏の稽古に励まれた場を見ることや、高井さんが舞踏について考えた場で高井さんを偲ぶのもいいかと考えたからである。
稽古場は、スペースを確保するために、片づけさせていただいたが、高井さんが日々向かわれていた机とその周りはそのままにしておいた。
真島さんにお願いして、祭壇をつくってもらった。奥に中西夏之さんが制作された移動式背景幕を垂らし、下手に舞台衣裳を掛けて、舞台を意識したセットで飾った。
手前には式台を設置し供花を並べ、ご遺族が群馬から持参された遺影を置かせていただいた。
遺影は、ご親戚の結婚式の際に撮影された記念写真から選ばれていたので、着物姿で50代後半のまだ若い高井さんであった。
また、稽古場の白壁に映像をプロジェクションして、お元気な頃の高井さんを偲んでいただいた。舞台で踊る高井さん、楽しく歌をうたう高井さん、海外公演先のホテルでくつろぎ観光地を歩く高井さん。


遠路にもかかわらず、たくさんの人にお運びいただいた。参会者一人ひとりに献花していただき、白い布に徐々にお花が積まれていった。
午前中は涼しかった高井さんの家も、参会者が増えてくると、人いきれで蒸してきた。
会は午後3時から8時までと長時間をとっていた。来訪の波があり、参会者で稽古場が埋まってきたところで献杯を行った。それで、3度、4度、その都度、参会者全員が声を合わせて献杯した。
献杯のあいさつは、それぞれの時代に高井さんをよく知る方にお願いした。
大野慶人さん、上杉満代さん、今井重幸さん、中村文昭さんが心のこもった言葉を置いてくださった。
そして、群馬から来られた姪の大澤伸枝さんも「舞踏関係の皆さんのおかげで、今日が本当におばが天国に送られる日になりました」と感謝のあいさつをされた。
時にしめやかな、時に和やかな、時に賑やかな時間があり、心優しく、それでいて厳しさを失わなかった高井さん、穏やかで、それでいて激しい気持を隠さなかった高井さんを送るにふさわしい会だった。


急逝されただけに、残された私たちも心の整理がつかなかったが、この日でようやく高井さんが幽明境を異にされたことを納得させることができた。
参会者の方々には、DVDとリーフレットをお配りした。
DVDは、会場で映写した映像が収められている。リーフレットは、高井さんのダンス歴と高井さんの舞踏がうかがえるように、さまざまな方の文章を再録し、合わせて笠井久子さんの心のこもる文章を掲載させていただいた。貴重な写真も見ることができる。(残部がありますので、ご希望の方は申し出てください)


高井さんが保持されていた貴重な舞踏資料を、散逸しないように保存し、整理し、公開する仕事が残されている。資料はひとまず、大野一雄舞踏研究所と慶應義塾大学アート・センター(土方巽アーカイヴ)で管理し、具体的な作業は今後の課題とすることにしている。


会の運営は実質的に、大野一雄舞踏研究所と有限会社かんた、旧アスベスト館のスタッフの皆さんにお世話になりました。長い1日、ごくろうさまでした。


[文・森下隆]