土方巽『病める舞姫』(白水社)刊行に寄せて 森下隆

このほど、『病める舞姫』(吉岡実装丁、函入)が限定復刻版として刊行された。
『病める舞姫』は、1983年3月に初版が発行されている。1986年には第2版が印刷され、その後、絶版になっていた。
この間、普及版というか並製の『病める舞姫』が刊行され版を重ねたが、こちらも品切れになっていた。
『病める舞姫』は1977年から1978年にかけて、雑誌『新劇』に10回にわたって連載された。連載時の評判はどうだったのか。瀧口修造は早くに評価している。

「こんど『新劇』連載の『病める舞姫』を読ませて貰い感動した。告白的芸道論などと言ってしまえない、これは語原通りのテクストというものか。
敢て、文は綾なりと言えば、これはもっとも厳密な意味でのことであって、土方巽が舞踏に至る動機と姿がタテ糸となり、その眼差しがヨコ糸となっている。
そして書くおこないそのものが、彼の踊る理由とつながっていると思わせるところがある。」(「私記土方巽」、『新劇』1977年8月号)




『病める舞姫
(左上より時計回りに:復刻版、並製、初版)

『病める舞姫』は読む人を魅了してやまないとはいえ、不思議な作品である。ダンサーのエッセーでもなく、舞踏家の自叙伝とも言いがたい。手に余るというか、読む者の思惑を超える内容である。
土方巽は連載開始の前年1976年12月に、アスベスト館における3カ年にわたる白桃房連続公演を終えたばかりであった。ここで「舞踏譜の舞踏」に基づく舞踏の画期的なメソッドの完成を見て一息をつき、ただちに『病める舞姫』の執筆にとりかかった。
そのあたりが、『病める舞姫』を考察する上で大きなポイントになろう。私ごときが言うのは憚れるが、今さらながら瀧口修造の眼の確かなことがよくわかるのである。
この連載が、相当の加筆をもって単行書としてまとめられた。その出版記念会をきっかけにするかのように、引きこもっていた土方巽は再び活動を開始する。しかし、最晩年の土方巽はもう一度自ら舞台に立つことを予告しつつ憤死した。その年、『病める舞姫』は土方の死を追悼しつつ重版をみているので、着実に読者はいたのである。読み通すことがむずかしい作品だが、これまでさまざまな読み手によって紹介され批評されてきた。
そして近年、あらためて土方巽の思想と書いたものが見直されている。
2009年から2010年にかけて、京都造形芸術大学舞台芸術センターで公開研究会「土方巽—言葉と身体をめぐって」が3回にわたって開催された。
その研究会の参加者が、それぞれの発表をもとにした論考をまとめた『土方巽—言葉と身体をめぐって—』がこのほど刊行された(角川学芸出版)。
論集中、『病める舞姫』をタイトルに含めた論考が2本(安藤礼二「『病める舞姫』の構造」、國吉和子「『病める舞姫』試論—そして絶望的な憧憬」)あるほか、何人もの執筆者が『病める舞姫』をテーマにしたり、言及したりしている。
私も「舞踏譜の舞踏」についての論考を寄せているが、舞踏研究者だけではなく、哲学・文学・演劇の専門家が参加して、本書は実に刺激的な土方論集になっている。ぜひ、手にして一読してもらいたい。


ところで、慶應義塾大学アート・センターの主催で、昨年の土方巽の誕生日(3月9日)に「土方巽『病める舞姫』を秋田弁で朗読する—米山九日生少年に捧ぐ」を上演した。当日は、春の雪が降り積もる中、小さな劇場(ザムザ阿佐谷)ながら満員になるほど多くの方々に見に来ていただいた。
この催しをどういった趣旨で企画し実施したのか、当日配付したリーフレットに記した、私の文章の一部を再掲させていただく。

「病める舞姫」を朗読する、しかも秋田弁で朗読するという実験的といえば聞こえはいいが、無謀なだけの試みを企図した、その一等最初のきっかけは、フランスを代表するダンサーであるボリス・シャルマッツの“La Maison malade“の初演を、一昨年、フランスのアンジェで見たことです。
ダンス作品でありながら、出演者が土方巽の文章を延々と語りつづけるという、その条理に反する行為と確信に満ちた態度に圧倒されたものです。
それから紆余あって、舞台経験のない学生とプロの役者さんたちとの不思議なコラボレーションが実現したのです。東北の語り=騙りの文化、土方巽のからだに染みていた義太夫、さらに口述による文学作品の成立の意味を考えることを口実に、秋田弁での朗読に挑戦することになりました。
山谷初男さん以外は、誰も秋田弁を話した経験がありません。にもかかわらず、『病める舞姫』の繁茂し縺れ合った言葉の森の魔力に屈伏したうえに、方言の魅力を捨て切れず、あえて秋田弁で朗読するという禁じ手を使いました。この難解な作品にアプローチする一つの方法として有効であるやもしれない、とご理解いただければ幸いです。




入営する兄、安治を送る。
前列中央の少年が米山九日生。
父母、姉たちの姿が見える。1940年頃か。

土方巽の『病める舞姫』は、もともと口述筆記で書かれた文章であるから、朗読することがこの作品の理会に至る近道でもあろうと考えた。秋田の土方巽に近づこうとしたのである。
土方巽の口述筆記には私も携わったが、土方の語りは訛ってはいたものの、秋田弁というのでもなかった。おそらく、太宰治の口述筆記における津軽弁ほどではなかったと思われる。
しかし、秋田の九日生少年を思い浮かべるにつけ、ここは秋田弁であらねばならなかった。
なお、朗読会では、九日生少年がよく歌っていたとして『病める舞姫』で歌詞が紹介されている「とんび」を唄う土方巽の歌声を聴いていただいた。


ところで、上述したボリス・シャルマッツの「病める舞姫」の日本公演が、この秋に開催される。ヨーロッパ巡演で賛否両論が噴出した問題作で、大いに楽しみである。
もっとも、ボリスのダンス作品は、タイトルは「病める舞姫」だが、舞台で語られる土方の言葉(作品)は『病める舞姫』ではなく、「風だるま」や「犬の静脈に嫉妬することから」である。しかし、いずれにしても舞台上では延々と土方の言葉が、もちろんフランス語で、二人の出演者、ジャンヌ・バリバールとボリス・シャルマッツによって語られる。ここではダンスは、身体をもって行われるというより、声をもって演じられるかのようである。
土方巽もまさか、自分の文章が、しかもフランス語になって、このようにダンスの舞台にのせられるとは思いもしなかったであろう。


『病める舞姫』はその後、『土方巽全集』(河出書房新社、1998年刊)にも収載されたので、多くの読者を獲得したというべきだろう。『土方巽全集』は普及版が刊行され(2005年)、『病める舞姫』はさらに読みやすくなっていたが、その普及版も品切れ状態である。
この機に、『病める舞姫』が当初の造本・装丁(見返し紙は違うようだが)で復刻されたことは喜ばしい。限定だけに貴重な本である。売り切れる前に書店に走ってもらいたいものである。