岩名雅記舞踏第二論集「虚無の強度」再版記念会

昨年10月、土方巽アーカイヴ担当森下の講義「芸術学D」でのレクチャーをお願いした岩名雅記さんの、舞踏論集 再版記念会が開催されます。
第二部の討論会「いま舞踏に何が可能か」には、土方巽アーカイヴの森下隆が加わります。是非お出かけください。

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岩名雅記舞踏第二論集「虚無の強度」再版記念会

2011年4月7日(木曜日)午後7時から9時(打ち上げあり)
明大前キッドアイラックアートホール(井の頭線明大前下車甲州街道方向へ徒歩1分)


ご予約とお問い合わせ:03-3322-5564 http://www.kidailack.co.jp
参加費:1500円(会場費を除いた収益を今回被災された方への義援金とさせていただきます)

  • 第一部:岩名雅記舞踏ビディオ「磁場」(サルザナ舞踏祭・伊/40分)
  • 第二部:討論会「いま舞踏に何が可能か」(ゲスト:土方巽アーカイヴ研究員 森下 隆)


=論集特別価格(先着20名様のみ3500円を2500円に)=
なお、第一舞踏論集「装束は水」(和文のみ)もトレーシングペーパーカバー付きで新装販売します(2000円)。



さて論集の再版記念会ということでこの一ヶ月以上準備してきましたが、事ここに至って、歌ならぬ舞踏もしくは踊りは生きる上で本当に力になるのか、なるとしたらどんな有り様が可能なのかを、今こそ考えなければいけません。
いや正確にはこの事態だからではなく、今回のようなことが起こらないとしても、舞踏が絶えず人を魅了し力を与え勇気づけるためにはどんな 仕掛けが必要かを絶えず考えて行かなければいけない筈です。

そんなわけで4月7日は勿論僕も森下隆さんもお話ししますが、是非参加される皆さんも話に加わって欲しいと思うのです。そして何がここまで舞踏を継続させる力になり得たか?(もちろん舞踏と呼ばれるものの個々の内実を検証 する必要はありますが)これからどんな有り様が考えられるか一緒に考えてみたいと思います。

少し先走りして書けば、天変地異の大災害は残念ながら自然の牙として受け入れざるを得ないとしても、原発について我々は充分に考えていける。いやまさに今こそ日本人が経済や生活の側面だけではなく、もともと人というのはど ういうものかを考える絶好の機会として原発をとらえることが出来ます。

人が生きていく上で(有史以来)何度か神は罠をかけてきています。カネの発生がまず一つ、文明と呼ばれるものも然り。制度や権力——、続々と神は罠をかけて来る。その都度ぼくらは自然と人の関係、あるいは自然の一部であるからだと自己 (self) の関係を確かめることでこの罠にかからないように勤めてきました。(残念ながら充分な成果が上がっていないばかりか益々穴深く落ち込んでいるのが現状ですが)

今度の原発問題は神の仕掛けた最大の罠です。僕らはからだとともにいると安易に考えているけれどこの原発を政治的に利用するために開発した人たち、それを知りながら運用してきた企業や國、そしてそれを傍観してきた僕ら一人 一人のそれぞれがからだを何処かへ置き忘れてきている、あるいは置き忘れようしているということです。

土方巽は「闇と沈黙と不動」は何処へ行ったんだ!と亡くなる前まで叫んでいましたが、 その一つ一つをからだに向き合わせてみると、この三つのサブジェクトは実はたった一つのこと、「本来のからだ」の事を語っていたのでしょう。もう少し言えば「本来の」からだが僕らにあればどうモノとかかわれるか、かかわれるモノがあるとしたら、どういうものをモノと呼べるのかというところまで行き着きます。すると本来のからだにとって(あるいは踊りにとって)スピードや空間とはどういうものかということも同様に考えていけます。

とりあえず今日現在(3/27日)僕はこんなことを考えています。
4月7日、是非お出かけ下さい。僕は前の日(6日)に帰国します。

岩名雅記